菊池誠「主にみもふたもないこととでたらめをつぶやきます」
今回は、菊池誠の Twitterプロフィールにある記述から、彼が信用できる人物かどうかを考えてみよう。(『RikaTan』への批判はしばらくお休みする)
菊池誠は大阪大学大学院理学研究科及びサイバーメディアセンター教授。また「ニセ科学批判」の活動でも有名で、この世界で彼を知らない者はいない。日本で「911陰謀論」を批判している論客の一人であり、物理学者であることから、最も信用されている人物かも知れない。
とはいえ、菊池誠は3・11原発事故の際、翌日Twitterで「メルトダウンじゃないだす」と発言するなどしたため、「エア御用」などと呼ばれ、全国的に名が知れ渡った。一般的にはそっちの方で有名かも知れないが…
御用学者宣言
これが現在の菊池誠のTwitterプロフィールである。
きくT(10/31ベアーズ11/7ムジカ@kikumaco
菊池誠。物理学者、ゆるふわ左翼、テルミン弾き。主にみもふたもないこととでたらめをつぶやきます。残りは「ロック」と「SFその他」とダジャレです。サイケなロックを演奏して、ライブやったりCD出したりしてます。放射線やニセ科学の本を出してます。
http://theremin.sakura.ne.jp/TalkingInko
「主にみもふたもないこととでたらめをつぶやきます」…だそうである。
僕はこれを言葉通りに読み取り、御用学者宣言であると考える。
「でたらめを言います」と宣言している人の言うことを信じるのは馬鹿げている。
「冗談だろう」と読むべきではない
菊池誠を信用している人たちは、このプロフィールを「冗談に決まってるじゃないか」と考えるだろう。10年間彼の活動を追い、著書を自宅の本棚に並べている人たちは、「お前が無理やり悪く読み取っているのだ」と言うだろう。
だが僕から見れば、あるいは一般的に見れば、それは曲解であり、自分から勝手に騙されているだけなのだ。
ニセ科学の批判者は正義の科学者か?
また、菊池誠が信用されている理由の一つは、彼が「ニセ科学批判」をしているからだろう。だが、ニセ科学の批判者は真っ当な科学者だ、というのは錯覚に過ぎない。以下のリンクでは、石川幹人(明治大学教授、ASIOS会員、「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」の統括研究員)の研究を、菊池誠・長澤裕が「科学ではない」と批判しており、そのことを教えてくれる。(注)
「超心理学は科学か?きくまこせんせとの会話」
https://togetter.com/li/604324
(注) 僕は石川幹人の批判をしているのではない。ここで言っているのは、あくまで「ニセ科学の批判者は真っ当な科学者だ」というのは錯覚だ、ということである。
結論
菊池誠は、Twitter では「でたらめを言います」と言っている。ならば、それ以外の場所では真っ当なことを言うだろうか?
そんなことはあるまい。同じことを言うに決まっている。
これをどう理解すべきだろう?
いや、考えるのは時間の無駄だ。クイズをやっている訳ではないのだ。
「主にみもふたもないこととでたらめをつぶやきます」などと言ったらおしまいだ。そんな人間は信用すべきではないということである。
『RikaTan』の記事③ 「犯人の心理」を考えることが論理的であるとする山本弘の愚かさ
当ブログ第3回目の記事は、これまでと同じように、『RikaTan』誌2016年12月号の記事「9.11 テロはアメリカ政府の自作自演?」(山本弘)について書く。今回はその結論部分、911が米政府の陰謀か否かを考える際に、陰謀者の心理を考えることが基本的・合理的・論理的であるとする山本弘の主張を検証しよう。
結論から言えば、この主張は愚の骨頂だ。科学や論理の否定以外の何物でもない。
山本弘の主張
記事から結論部分を引用しよう。少々長いので二つに分割する。
他にも陰謀論者の想定する「同時多発テロの真犯人」の行動は矛盾だらけである。旅客機をビルにぶつけるだけでいいはずなのに、なぜかわざわざ手間をかけて爆弾を仕掛けて解体する。ニューヨークを攻撃するだけでいいのに、なぜかペンタゴンも攻撃して大勢の軍人を殺傷する。なぜか旅客機ではなく巡航ミサイルをペンタゴンにぶつける。飛行機から電話はかけられないのに乗客からの電話を偽造する……。どれもこれも露見する危険性を高めるだけの無意味な行為である。(P67)
こういった個別の問題については、いずれ別の記事で検証する。今回取り上げるのは続く結論部分だ。
しかし、こういった基本的疑問をぶつけても、反応は薄い。それらが矛盾であることを、陰謀論者はどうしても理解できないらしい。
彼らと何度も議論した経験から言わせてもらうなら、彼らの共通点は想像力の不足である。とりわけ「他人の立場になって考えてみる」という能力が決定的に欠けている。他人の心理が理解できないから、犯人の心理を完全にブラックボックス化し、合理的に解釈することを最初から拒絶しているのだ。
彼らを論理で説得するのはまず不可能である。なぜなら彼らは、正しい論理を理解できないだけでなく、自分が論理を理解できないこと自体を理解できていないのだ。だから、「それは論理的にありえないでしょう?」といくら力説しても、馬耳東風なのである。
911が米政府の陰謀か否かを考えるとき、犯人の立場になって考え、その心理を考えることが基本的・合理的・論理的である……のだそうだ。犯人の心理に基づき「それは論理的にありえないでしょう?」と言って良いのだそうだ。つまり、それをもって各種証拠や科学的検証を否定してよい、ということである。
記事では、まず「代表的な陰謀説」9項目を挙げ、それを否定することで911の検証しているように見える。しかし人間の心理を基本としているのだから、そんなものはそもそも必要すらなく、書く順番が倒置されているだけである。
これは曲解ではない。何度読んでもそう書いてあるし、記事の副題にも「陰謀論者は他人の立場で考えられない」とある。
望ましい考え方
次に、望ましい考え方、正しい考え方をする人たちの言葉を引用しよう。
これらの競合する理論(※アルカイダ犯行説と米政府共犯説)のどちらを受け入れるかは、どちらのほうが関連する事実によってより強く支持されているとわれわれが信じるかに依存する。あるいは少なくとも依存すべきである。
デヴィッド・レイ・グリフィン
『9・11事件は謀略か』P42
これが正しい。考察の基本は事実であるべきだ。
次に同書の序文、リチャード・フォーク(ブリンストン大学教授、専門は国際政治学など)による同書の評から。
『9・11事件は謀略か』をそれほどまでに特別な本にしているのは、それが最も微妙で論争を巻き起こす領域――九月十一日の悲劇にかかわる政府高官たちの行動の広範な見取り図――をアカデミックな公平さの最良の精神で、最強の学究的美徳――どこであれ証拠と理性が導くところまで追究をすすめる意志――を示しながら探求されているということである。(P5)
これが望ましい態度だ。結果がどこに行き着こうと、証拠に基づき考察を進めるべきである。
そしてどんな科学的な行為でも、結局は仮説を証明する証拠を集めることだということにみんな同意するでしょう。そしてもしその証拠が仮説と矛盾するなら、それを捨てて別の仮説を探さなければなりません。
これはWTC崩壊の調査に関連して語ったものだが、これが正しい。これに同意できない人間がいるのだから、マーギュリス女史もさぞ驚かれるだろう。
最後に、ネットの書き込みから。『さざなみ通信』というサイトへの「無党派通行人」氏の書き込みを2つ。いずれも最初の一文は山本弘と同じような考え方をしている別の人物の発言であり、それに対するレスである。
>4、自然で合理的な推測
ビルやペンタゴンに、飛行機が突っ込んだばかりでなく、爆薬でも破壊されたのだとしたら、なぜそんなことをするのでしょう? 自作自演なら、WTCやペンダゴンに飛行機が突っ込むだけで十分でしょう。爆薬で爆破したら、自作自演の証拠を残すことになりますよね。―― このように推測するのも、これまた「ごく自然で合理的」なものです。
実際の証拠を知らないあるいは検討していない段階での推測や予断と、実際に得られた証拠の取り扱い方が倒錯しています。
まず、実際の証拠を知る前は、推測や予断の範囲外 (思いつきにくいこと) は仮説への制限となり得ますが、いったん何らかの証拠が得られたら、たとえ事前の推測や予断の範囲を逸脱するとしても、その証拠を無理なく説明するか、少なくとも矛盾しないように説を組立てなければなりません。
さもなければ、その説は証拠に反する妄想あるいはトンデモ?になります。
>だいたい制御解体説をとるなら、いつ誰がどうやって誰にも気づかれずに大量の爆薬や導線をしかけたのか説明できなければなりませんし(米国政府は万能か!?)、なぜ主要な構造部分を爆破しさえすればよいものを、あえて爆薬のみならず、わざわざ支柱の耐火被覆をはがしてテルミット等を設置して溶かしたのかも説明できなければなりません(米国政府は労力をかけてる割にどこか抜けている!?)。ちょっと考えればいかに馬鹿馬鹿しい説明であるか、誰にでもわかるでしょう。
何だか当初の先入観から1ミリも進歩していませんね。
まず、やや抽象的になりますが、以前にも述べたようにWTCの崩壊現象は物理・化学的現象なので、その考察に先入観や周辺状況の解釈は何の影響も与えない一方で、考察によって確立された結果が逆に先入観を修正したり周辺状況 の解釈の仕方を制限することが一つ。
全くその通りだ。証拠に基づいた考察により導かれた結論が、「犯人の心理」など周辺状況の解釈の仕方を制限するのである。
山本弘は実際に証拠を検証していない
人間の心理を考察の基本に置くならば、証拠の検証など必要無くなってしまう。山本弘はそう書いているのだから、当然そうしているのだろう。実際、彼は911の疑問点の検証をほとんどしていないのだ。
いずれ詳しく記事にするつもりだが、彼はスティーブン・ジョーンズの論文は読もうとしないし、グリフィンの本も読んでいない。記事の参考文献にもなっていない。また以前記事に書いたように、ツインタワーの崩壊について物理の知識の無いまま「常識」で判断してもいる(それらはもちろん、人間の心理を考慮した、彼にとっての正しい論理である)。
ついには、講演でこんな発言すらしている。
会場で菊池先生も言ってたけど、あれほど大きな事件だと、膨大な情報が飛び交っている。当然、間違った情報や、互いに矛盾する情報もある。でも、それらすべてを調べて論破するのは、ものすごく労力が要る。
だからもうどこかで「やっぱり陰謀なんかないよね」と納得するしかないわけである。そうしないと無限に疑い続けなくちゃならなくなって、話が終わらないから。
結論
たとえどのような結論が導かれようと、事実に基づき論理的に考察を進めるべきであり、その結果得られた結論が「犯人の心理」の理解の仕方を制限する。これが「犯人の心理」を考えるにあたっての正しい論理である。
山本弘が「彼らと何度も議論した経験から言わせてもらうなら」と書くその相手の一人は僕(管理人)である。今回書いたようなことは、もう10年も前から繰り返し言っているのだ。だが彼はどうしても理解できないらしい。これは資質の問題だろう。
「自分が論理を理解できないこと自体を理解できていない」のは山本弘の方である。それゆえに、いくら証拠を突き付けても、例えばWTC崩壊の物理的な疑問を示しても、馬耳東風なのだ。無知と愚かさゆえに正しいことを言っている人間を馬鹿にしているのだから、もはや「馬鹿には見えない綺麗な服」を着ていると信じ町を練り歩いているも同じである。